タイムパラドックスについて

前回記事でなぜかタイムトラベルに話がずれました。その時にちょっと考えたことがあったので共有します。

結論から言うと、タイムマシンがあった場合にはシュタゲのように世界線(相対性理論での意味とは違う)がずれることでパラドックスを回避するのではという考えです。

この考えに至るまでにまず考えたのが、親殺しのパラドックスはまったく的を射た議論になっていないということです。

なぜなら、親を殺さなくても過去に存在するというだけでパラドックスになるからです。過去に一瞬行って誰にも見られずに帰ってくるということをしたとしても、分子レベルで見た場合には過去に影響を及ぼすことになります。その結果、例えば小石が数センチずれた世界のはずが、元の世界ではずれていないということが起きます。

もっと言うと、親を殺す殺さないというのは人間の主観で物事をみているに過ぎないのです。親が死ぬ死なないも結局のところ微粒子レベルの変化なので、親がなぜか殺せなくなる説などは全く無意味な説となります。

そうなると、過去に行った場合にはその過去の世界は元の世界とは全くの別物ということになります。

つまり、シュタゲで言えば世界線が移動することになるのです。

そのため過去に行った後に現在(未来)に戻っても、その世界はもはや過去に行く前の世界ではなく、過去に影響を及ぼした結果の未来になります。親を殺した場合は親は死んでいる世界です。

しかし、これはパラドックスにはならないのです。なぜなら世界線が違うから。

このように考えると、過去へのタイムトラベルが成立する場合この世界は5次元になりそうですね。時空の4次元に世界線を足して5次元。待ち合わせには3次元空間の位置と時刻に加え、世界線の情報が必要になりますから。

てなわけで、この世界が5次元以上であることを望みましょう!

エルプサイコングルゥ