ブログ

中国語の部屋というのはとある思考実験のことなのだが、説明が面倒なのでそれはWikipediaニコニコ大百科に任せます。

で、本題はこれが言葉遊びにすぎないということです。

つまり、言葉の意味を明確化しないことにより生じる面白い現象でしかないと考えます。

「理解する」という言葉をしっかり理解していないだけの問題なのです。

僕は理解するという言葉を、「ある事柄の情報空間における場所を把握すること」だと思っています。

例えばあなたが誰かに「日本の首都は?」と聞かれたとしましょう。その時あなたは日本という言葉や首都という言葉を「理解」します。すなわち、中国でもアメリカでもなく、一番高い山でも観光名所でもなく、「日本の首都は?」 と聞かれていると理解します。そして「東京」と答えるのです。

では中国語の部屋の場合はどうでしょうか。そこには理解も何もありません。マニュアル作業ではそれぞれの単語が何を示すかわからないからです。そのプロセスには単語の意味を明確化する作業がないのです。

理解とはプロセスです。

もし、あなたが理解しているにもかかわらず、質問に対しわけのわからない返答をしたら、それが理解していないということになるでしょうか。そうはなりませんよね。理解しても答えられないことだってありますし。

つまり、中国語の部屋が正しい返答をするかなどどうでもいいのです。そのプロセスに理解というものが備わっているかが重要です。

そして、中国語の部屋には理解という構造が備わっていません。

「でも、人間だって中国語の部屋のようにニューロンによる作業をしているだけじゃないか。」

と言う方もいるかもしれませんが、

それは中国脳の話です。中国語の部屋の場合は情報処理内部のプロセスが理解という形態をとっているかが問題なのであり、物理的なものは関係ありません。

というわけで、中国語の部屋は「機能主義が正しいか」や「強い人工知能は製作可能か」などの問に答えるものではなく、ただただ言葉に翻弄されるだけの虚しい遊び道具ということです。

そんじゃ反論を受け付けますのでいつでもどうぞ。ただしお手柔らかにお願いします。あと、全文読んでから反論してね。

では。